高級マンションのそばに釣堀があった

目黒通りから左へ曲がる。かすかにゆるゆるしたのぼり坂の突き当たりは、広々とした割には車の少ない道路で、今度はそれをゆるゆると下る。
一休みしたければ、道路沿いに酒落たカフェが1、2軒ある(この先しばらくは、そういう場所はないので、念のため)。
さて次はのぼり坂。マンションや社宅の聞の狭い道を一気に上がる。「白金」というとえらく高級なイメージがあったが、この辺りはごく普通の、落着いたたたずまいの住宅地だ。
が、突然草ぼうぼうのさら地が出現したりして、やはり地上げの波が寄せて来ているのだろうか。皮肉なことだが、このさら地からのみ、普通は家屋に遮られて見えない高台からの眺望を楽しむことができた。赤レンガの塀が見えたら、それは聖心女子学院。塀の中はシンと静まりかえっていて、うん、やはり深窓の令嬢たちの学校だ、と思ったが当り前だ、本日は日曜日であった。その塀沿いに下る急坂は濁江坂。
下りきった所に北里研究所がある。細菌学研究の先駆者、北里柴三郎が、大正4年(1915)に全私財をなげうって創設したものである。
五之橋に向う。辺りは町工場などが散在する庶民的な住宅地。橋の下を流れる古川は、古くから濯概用水として利用されてきたが、今や真上を走る高速道路に押しつぶされそうな風情で細々とある。
橋を渡り、道路を渡った光林寺には、ハリスの通訳だったオランダ系アメリカ人、ヒュースケンの墓がある。現在、港区住民の17人に1人は外国人だそうだが、ヒュースケンさんに今の六本木の様子でも見せたらなんとおっしゃるだろうか。
また急坂をのぼる。明治20年代に開かれた当時は新しい坂だったから、新坂。安易なネーミングである。横文字の表札も増え、のぼりきった先にあるのは、フィンランド大使館。
坂の上を左に行くと、超高級マンションの並ぶ、閑静な一画だ。外国人向けなのだろうか、寺の山門風の門を構えたマンションがあって、あまりのミスマッチさに度肝を抜かれる。脇に入って、居並ぶお屋敷の表札を眺めていくと・・・・なんだなんだ、みんな横文字ではないか。居留置にでも迷い込んだような気分になる。
道一本隔てるとガラッと雰囲気が変わるのが、坂の多い町の面白いところ。
新坂の右方には「昔ながらのご町内」といった空気の家屋が軒を並べている。そこで、「釣り堀 入口」というへたくそな(失礼!)手書きの小さな看板を見つけた。軒先の洗濯物に遠慮しつつ、家々の脇をすり抜けるような谷間の小道を奥に進むと、ぽっかりとそこだけ空間が開いたように、何と本当に釣堀があった。とろりとした水面に、陽光がきらきらと光る。

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